意志表示をすることはわがままとはちがう。

先日、ふと手に取った本に

「意志表示をして、やりたいことを掴み取って叶えるのは、

わがままなんかじゃなくて権利です」

って書いてあって、すごくぐっときました。

また、先日のあるときには、

同じ会社の退職する方から、

「あなたが今のポジションにいてくれてすごく助かった。

でも、ほんとうにやりたいこととは違うのなら、

ほんとうにやりたいことを優先した方がいいよ」

とも言われたりして。

その方は、わたしのやりたいことが今の役割ではないことを知っていました。

いまの自分の悩みに、その2つの言葉はどちらとも寄り添い、

答えなんてほんとは分かっているのに流されそうになっている自分を

引き戻してくれた気がしたのです。

わたしはいま、ファイリングとかデータ打ち込みとか送付準備とか、そういった一般事務をやっています。

でもほんとうは経理がやってみたいなと思っている。

数字を扱う仕事に興味があるんです。

女優になりたい!とか音楽で食っていくんだ!とかそんな夢に比べたら

ちっぽけで、そんなものも叶えられないの?って思われるかもしれない。

だけれど、いまの自分のポジションは条件面であんまりいいとは言えなくて、

もしわたしが経理に行ってしまったら、このポジジョンを埋める人がいないのです。

能力的に何かが必要だからなのではなく、

この条件を引き受けてやってもいいよって人がいない、ということなんですね。

だから、みんなに有り難いって言ってもらえる。

ただ存在しているだけで。

そう感謝されることはわたしにとって、文字通り有り難い。

感謝されるたびにわたしは、やりたいことを口に出せなくなるのです。

こんなにみんなが感謝してくれるのに?

それを手放すなんて、期待を裏切るような行為じゃないだろうか?

…だったら、もうこのままでいいかって思ったり、

さらにはわたしこそがこの役割を引き受けなきゃいけないんじゃないかって思い出したり。

思い始めると止まらなくて、

もうこのままなんとなく、ここにいようかな。

そう傾きかけていました。

でも、本に書いてある言葉を読んだときに、

退職される方からの言葉を聞いたときに、

やっぱり、やりたいことをやりたい。

素直な気持ちが戻ってきました。

誰かが望むようにありたいって気持ちはいつもある。

わたしがわたしのやりたいようにやれば、

つまり、誰かの望むように大人しくそこで待っていることをやめたら、

その「誰か」がきっと困ってしまう。

でも、困らせずに生きていくなんて、

それはもはや生きているなんて言えなくて、

生かされているみたいなことになっちゃうんじゃないかと思ったんです。

これがやりたい。

こうなりたい。

力を貸してほしい。

素直になって、まっすぐ、

やりたいことやりたいって言おうと思いました。

自分の意志を表明することは、

ぜんぜんわがままなんかじゃない。

それはほんとうに、本に書いてあったように、権利なんだと思うのです。

誰かの望みや期待に応えることは大事だけれど、

いつもいつもそうである必要なんてなくて、

むしろ、「たいてい」そうであったら、

「いざ」自分のやりたいことをやろうってときに

その「誰か」が手を貸してくれるのかもしれない。

あれだけ期待に応えてくれたんだもんって。

わたしが「誰か」になったときはそうありたい。

そして

「いざ」ってときにわたしは、

やっぱり自分から、気持ちを言葉に、

気持ちを行動に変えていきたいなと思う。

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