母になるってことを、母じゃない24歳のわたしが考える/桜林直子さん/セブンルール

「セブンルール」っていう、ひとりの女性の生き方を、

その人の七つのルールから見ていこうとする番組に

シングルマザーのクッキー屋さんが出ていた。

なんか、最近思うのだけれど、

やっぱりわたしはまだ両親の子どもで、

それは当たり前といえばそうだし、

両親の子どもであることはずっと変わらないんだけれど、

でもたぶん、いつか子どもを持つようになったら、

自分も子どもだってことを、忘れちゃうというか、

まるっと世界を反転させたかのように、

子どもの自分はいなくなりそうな気がする。

子どもでもあり、

親でもあり、、、

そんなふうにはならないんじゃないのかなーって。

残るのはどちらかだけ、みたいな。

母になるって、そのくらい強い色を持ってるんだなって思う。

セブンルールに出てたシングルマザーのクッキー屋さん:桜林さんも、

完全に母だった。

すんごく、印象的だったのが、

「わたしのせいにはさせない」って言葉。

娘さんに、親のせいでこうなったって言わせないようにしたいって言っていた。

だから、自分で決めなさいって言ってるって。

すごい親だなぁって思った。

わたしは、大学で心理学を学んで、

たいしたこと習ってないけど、

4年間、ここまで生きてきた自分のいいところも悪いところも含めて、

これらのものはどこから来たんだろうみたいなことをよく考えた。

それで、行き着く先って、正しいかどうかは調べようもないけど、

やっぱり親だったりする。

あのときああしてくれたら、

こんなふうにしてくれたら、

わたしはもっと自由になれていたのにとか、そんな具合に、親の、わたしの育て方について、

あれこれぐちぐち考えていた。

正直にいうと、今でもよく考えるんだけれど。

でも、桜林さんは、なんでこうしてくれなかったのって思いを、

自分の中で、つくりかえて、

だから、娘にはこんなふうに育てようって

その力に変えていた。

それを見て感じて、人っていつか、

もらう側からあげる側にかわらなきゃいけないんだろうなって思った。

母になってもならなくても。

こうしてよ、って愚痴を言えるのは、わたしがまだもらう側だから。

っていうか、もらいながらも愚痴を言うってぜいたくだなって、ようやく気づいたり。

ずいぶん親には愚痴を言ってきたし、

たぶんこれからも言うような気がしているけれど、

どこかで、わたしも世界をまるっと反転させて、

こうしてほしかったって思いを、

もらう自分からあげる自分に投げ渡して、

だれかに、わたしが接してほしかったように

接してあげられるようになりたいなと思った。

母になったってぜんぜんおかしくない年なのに、

母になるってすんごい遠いような。

人間育てるなんてできる気がしないもん。

でも、子ども産めるのってがんばっても40代くらいまでだろうし、

そう考えたら、

不完全な人間にしか、人間を育てられないようになってるのかなって。

親になる将来が、わたしにはやってくるんだろうか。

もしやってきたとして、そのときわたしは、どんなことを譲れないものとして、

ひとりの人間と向き合っていくんだろう。

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