嘘のない、言葉のつよさ

わたしは、大学4年の秋に、

関西で、宣伝会議の、「コピーライター養成講座」という講座を受講していました。

すでに就職活動も終わってしまい、

広告業界にはいけないことがわかっているなかで。

たぶん、わたしは、自分の書くちから、伝えるちからを試してみたかったんだと思います。

どのくらいできるんだろう。

自分は、どのくらいの場所にいるんだろう、と。

受講料は17万円くらいしたでしょうか。

あの決済ボタンを押すことができたのは、

わたしが学生だったからかもしれません。

まだ、自分のお金の使い方にすべての責任を背負う必要はなかった。

とにかくわたしはそのボタンをおし、

人生で今のところ1番大きな買い物をし、

深呼吸をしてから、

毎週末、

大阪の教室にペンとノートをもって通いました。

教室では、

ほぼ毎週課題が出されます。

そして次週、講師のかたからの講評があり、

良い作品を発表すると、

金色の鉛筆がもらえる、というシステムでした。

わたしの、忘れられない講義があります。

その講義で講評された、課題のテーマは、

「大人の再定義を考える」でした。

みんな、思い思いの定義を書いていました。

わたしもいくつかの定義をかき、

2つが先生の目に止まりました。

その1つが、

「自分に絶望したことのある人」

でした。

10代の後半から、もしかすると今でもなお、

わたしは、

自分に対して、

なんてだめなんだ

だとか

なんにも持っていない

だとか

否定的な気持ちをたくさん抱いてきました。

周りの人が、優秀だったし、

そして何よりわたし自身が、人と比べることを止められなかったからです。

「大人の再定義」という課題について考えたとき、

わたしは、大人とは前に進んでいる人というよりも、

たとえ、10年前と同じ場所にいても、

そこから大きな円を描いて、

一周回ってきて、再びそこに立っているような、

そんな人のことを言う気がしたんです。

だからわたしは、

そんな答えを書いた。

講義のなかで、先生が言いました。

「でもさ、絶望『したことがある』ってことはさ、

もうこれを書いた人は、すでに立ち直っているってことだよね」と。

はっとしました。

ああ、そっか。

わたしもう立ち直っているんだ。

先生の言葉を聞いて、初めて気づきました。

絶望してたのは過去のことなんだなと。

講評のとき、先生は受講生全体に向かって話します。

わたしの姿と、

わたしの答えは一致しないままで。

人はたぶん、特定の「ひとり」に向かって話すと、

気を遣うし、言葉を慎重に選ぶし、

結果として、「嘘」がまじることもあると思います。

でも先生は、わたしに、ではなくわたしの書いた、ことばに向かって

感想を言っただけ。

その嘘のないことばが、

ときには遠慮がないと映ることもあるかもしれないけれど、

わたしとってはあまりに強く真実として残って、

大きなインパクトがありました。

わたしにとって、とても忘れることのできない言葉です。

本音ってつよいんだなと学びました。

残ってしまう。

いいときも悪いときも。

重たいんです。

嘘のない言葉の強さを、知った瞬間でした。

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