自分に原因を認めることと、自分を責めすぎないことの両立について。

この前、電車のなかで隣のグループの人が、

「おれはもうちょっともててもいいはずなんだけどな」

って言っているのが聞こえてきて、

すごい自信家だなーと思うとともに、

そのとき、とある言葉が浮かんで(思い出して)きました。

それは、

自分の中の何かが、この事態を引き起こしている

ってことばです。

ネットで見つけたのですが、

すごくはっとさせられて、

いつも周りに原因があると決めつけては逃げてきた自分に、

ものすごくグサグサと刺さりました。

ほんとうに、この言葉のとおりだよなと日々思います。

周りの人との関係、自分の立ち位置、仕事、恋愛、そのたもろもろ。

ぜんぶ、自分が引き寄せている。

原因は自分にあるんです。

たしかに、すべて自分の原因ってわけじゃないけれど、

逆に言えば、まったく自分の原因じゃないものもないと思います。

どこかに、自分発信の何かがある。

きっとそう。

その証拠に、結果や現状を他人のせい、周りのせいにしている人をみればすぐわかります。

え?何言ってるの?

それ自分のせいじゃんって。

だけど、不思議なことに、他人に対してはそうすぐ分かるのに、

自分のことになるとなかなか自分に原因があるって認められなかったりするんですよね。

きっと、周りの人からみたら、

わたし自身が、こうだから、ああだから、ダメなんだよってふうに、

簡単にわかるんだろうけれど。

少し前に、どんなときも、自分は自分の味方でいる。

っていう記事を書きました。

タイトルは何かの本に書いてあったことを引用させてもらったんだけれど、

簡単にいうと、

誰になんといわれようと、自分のことを信じるべきってことを書いた記事です。

この記事を書いたあとに、

「自分の中の何かが、この事態を引き起こしている」って言葉に出会って、

両方ともすごく大切にすべき考え方だと思うんだけれど、

その2つは相反するものだなっていうふうにも思っていて。

自分に原因を認めていると、どうしても、自分のせいだってなってしまうし、

そうでありながらも、味方で居続けることなんてできるのかなって疑問に感じていたんです。

で、考えてみて、思ったのは、やっぱり両方とも必要だってことです。

ただ、いつも2つが同じくらいあるわけじゃなくて、

1つがぐんと伸びたら、そのとき、もう一方は黙って縮こまっているような、

そんな具合に。

少なくともわたしは器用じゃないから、

2つともを上手に均等に保っておくことができないので。

自分に原因があるって気づいて、落ち込んで、

でもわたしなら変えられると自分を信じぬいて励まして、、

そんなふうに、2つが出たり入ったりする感じなのかなぁと思います。

すてきだな、いいなって思う言葉はたくさんあるけれど、

時折それらがぶつかって、なんだか混乱することもあったり。

そのときどきで必要な方を、選んでいくことも大事なのかなぁと思います。

だって、傷ついて下の下まで落ちているときは、

やっぱり自分を信じることがいちばん必要になってくると思うから。

けっきょく大事なのは、何がいちばん自分にとって大事か、

それを見抜くことなんだろうな。。。

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