飲み会に救われて

大学生のころ、飲み会が苦手でした。

ギャップを演出しないといけないかんじだとか、

人はみんな猫かぶってること前提で、

その殻をやぶる場として存在しているかんじとか。

でも、最近、ありすがわは、

自然と、飲み会を好意的に捉えられるようになってきました。

だって、普段と別の自分でいていいんだから。

翌日、なにもなかったかのように、

静かに職場にいてもいいんです。

たとえば、しらふの時にいつもと違った、

テンションの高い自分を見せれば、

ある程度つぎからもそれを維持しなくてはならなくなります。

そうでなくては、

精神が不安定なのかな、なんて思われてしまうから。

でも、お酒が入っていれば、

お酒のせいかな、なんて

みんな勝手に片付けてくれる。

許してくれるんです。

ありすがわは、職場にいくと突然寡黙になってしまう。

場面間黙ってことばがあるけれど、

軽いそれかもしれません。

もともと小さな声が、

もっと小さくなる。

かぶる意識なんてなくても、

猫かぶってる。

ひっついてくるっていう方が正しいのかもしれない。

重たくて、自分じゃ脱げないんです。

現代の10代、20代は、SNSとともに毎日があると思います。

そこに、いつもとちがう人格の自分を置いてきている人も多いんじゃないでしょうか。

裏アカとか鍵アカとか持っている人もいるように。

でも、控えめであっても表(ネット上)に出すということは、

誰かに伝えたいって気持ちや

わかってほしいって思いがあるからだと思うんです。

でも、現実世界での自分のつづきでは、

それを出すことができない。

否定されたら…

と考えると怖くなってしまうから。

そんな私たち世代にこそ、飲み会ってチャンスなのかなと思います。

転職した後にあった、職場の歓迎会で、

職場の人たちのいつもと違う姿を見ていたら、

こんな一面もあるんだなーなんて、

勝手に知ったような気持ちになっていたりして。。

そういえば、

こないだある人が、こんなことを言っていました。

「個性がない人なんていないんだよ。

個性の主張の強さが、

勝手に個性の有無に結びついてるだけなんだよ」

って。

だれでも、ほんとうは分かってる気がするんです。

自分の個性について。

だけれど、

打ち出したい個性が、いま打ち出せている個性と違ったり、

そもそも個性が打ち出せなかったり、

どう演出するか、

どう分かってもらうか、

そう悩んでいるうちに、自分に迷ってしまうのかもしれない。

悩ましいそんな問題を、

飲み会ってもしかすると

解いてくれるのかなぁ、

なんて、

転職1年生、いや2ヵ月目のありすがわは

ふと考えたりしています。

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