簿記3級の試験が先日終わって、
結果待ちの日々のなか、
なんだか妙に空いた時間が目立ってきて、
ああ、わたし、簿記で毎日埋めてたんだなってふいに気づいていたりします。
簿記の勉強もして、ブログも書いて、
毎日の家事もこなして、、、
仕事はほとんど定時あがりだけれど、
それでも時間が少なく感じていました。
それが、簿記の時間がなくなって急にぽかーんってなるような、
なんか投げ出されたみたいな状態。
その状態に馴染めないでいると、
今度は逆にさみしさがやってきて、
勉強したいなぁと思い始めてきました。
ひとまず結果が出てから2級のテキストを買いに行こうと思っていたのに。
学生時代は、勉強で時間を埋めるって発想がまったくなかった気がします。
それは勉強しなかったってことじゃなく、
むしろ最初から埋まっていたから。
毎日が、勉強で。
自分で埋めようとしたわけではなかったんです。
でも、ばか真面目に、与えられたものはこなして、やりきって、
そういう日々を自然に送っていました。
でも学校を出てから、学ぶって、自分で選ぶことのできる行為なんだって初めて気づきました。
簿記を学ぼうと思ったのは、
新卒のコンビニ時代、伝票書くのが好きだったってことや、
唯一、厳しかった先輩が、伝票を書く正確さだけは褒めてくれたこととか、
いろんな要素があるんだけれど、
いちばんの理由は、転職活動のとき、とある面接で、
いま勉強していることとか、学んでいることがあれば教えてくださいって言われたこと。
そのとき、なんにもなかったんですよね。
ひとつも。
学生のとき、あんなに真面目に勉強してたのに。
働いて、帰って、食べて、寝て。
考えたら、勉強からすごく遠くなっていた。
なんにも学んでない。
そのことに急に気がついて、はっとした瞬間でした。
これじゃだめだ。
もともとあった(かどうか分かんないけれど)学びたい意欲に火が再びついたというか。
そんな感じでした。
学ぶことって、楽しさより、安心感を連れてきてくれることが多い気がします。
流れていく毎日をちょっとだけ引き止めて、
ちゃんとその時間を過ごしたなってそんな気持ちになれる。
高校時代、国語の先生が、何で学び続けるのかってことを説明してくれたことがあります。
その先生は、黒板にひとつの円を書きながら、
「ひとつ学ぶと、その外側に知らない世界を発見するでしょう?
そしたらそれを知りたくなってまた学ぶ。
(ひとつめの円の外側に一回り大きな円を書きながら、)
そして、こうやって学ぶと、知らないことが更に増えて、
学べば学ぶほど、知らない世界にぶつかるんだよ。
だから学び続けるんだよ」って、そう言っていました。
知らないことに出会ったら知りたくなる。
それって、なんかすごく純粋な動機で、いいなって思います。
勉強って、面倒だけど、やっぱり好きかもしれない。
正確にいうと、知ることって好きかもしれない。
今日を過ごしたなって感覚と、
知りたいって好奇心。
学ぶことはすごく大切なものをくれる気がする。
来年の目標は2級に受かること。
でもひそかに、1級までいってみたいとも思っていたり。
20代。
学校を卒業したって、
自分の可能性を信じて、自分で学んでいくべきときなんじゃないかなって、
そのために10代、強制的かもしれないけれど学んできたんじゃないかなって、
その姿勢を自力でひっぱりだしてくるときじゃないかなって
そんなふうなことを、ふと思ったのでした。