平日休みという日々のなかで。

わたし、火曜日と水曜日が休みなんです。

世間ではわりと珍しい平日休み。

ときどき、別時間を生きているような感覚になることも。

先日、こう尋ねられました。

「なんで◯◯さんは、この働き方を選んだの?」

わたしは、上手に答えることができませんでした。

でも、尋ねてきた人は、変だ、おかしい奴だ、そういう響きを全く持っていなかったんですね。

ただ、純粋な疑問として尋ねていました。

だから、もしわたしがわたしなりの言葉で、きちんと伝えていたら、

「へー。そっか。」

それで終わっていたと思うんです。

でもわたしは上手に答えられなかった。

自分の選んだことに対して、

しっかり向き合っていないからなのかなって少し考え込んでしまいました。

そしてすこし時間をかけて、この会社で働こう、この働き方を選んでみよう、

そう決めたときのことを

もう一度思い起こしてみました。

そして結論。

平日休みでもいいかなと思った理由は、

土日休みでも結局、充実した日々を過ごすことができなかったから。

最低限の人間関係、

というよりひとり行動多めの日々。

(友だちもいることはいますよ!)

休みがいつ設定されるかで、わたしの人生は特に変わらないんじゃないかなと、

そう思ったのです。

それって。

つまりは別にあれでもこれでも変わんないよ、っていう、

ちょっとネガティブな気持ちがもたらした決断だったと思うんですね、いまさら。

ときどき、いろんなことが、もういいや。

ってなることがあるんです。

ずっと、何か、いつか、”節目”がきて、

この一本調子な日々を、

自分なりには抜け出そうと色々試してはみるけれど

いっこうに変わらない日々を、

ガラリ、と変わるときがくると、

まさに白馬の王子様を待つ少女のように

信じていました。

でも、待てど暮らせど変わらない。

そして、周りの人々が、いろんな方向へ曲がっていき、

ひとり残されていく・・・。

このままなんだな。

そう悟るときがあるんです。

変化、転機、そんなものの前にみんな並んでいて、列をなしているとしたら、

わたしはもうずいぶんと後ろにいる。

そして、いつのまにか、

幻になって、疲れ果ててしまう。

そんな未来を想像したりして。

そういった気持ちが、いつ休みとか、関係ないってそう思わせた気がします。

平日に休みが固定されてから4ヵ月くらいがたとうとしています。

なぜかいま、休みの日、ひとりでいる理由を、

ぼーっとして終わる休みの日の理由を、

平日休みだから、と言い訳している自分がいました。

・・・あれ?

どちらでも同じだから、じゃなかったのって。

自分に問いかけてみました。

結局わたしは、言い訳を見つけて、”いま”に納得できていなくても

仕方ないじゃん、で片付けられるように

固めていこうとしていたんです。

そう気づいたときに、

そんな自分はいやだな。

周りのせいにしない。

自分で”いま”を輝かせる。

そう決めました。

リア充って、なんか言葉がちょっと下品で苦手だけれど、

あえて使ってしまう!

わたしは平日休みでもなんであっても、

リア充になってみせる。

まあ、リア充の定義はいろいろあると思うのですが、

わたしはみんなでわいわいじゃなく、

じっくり、心の内側にあるものを話せて、

そして同じ方向を向いて、ぼんやり時間を過ごせるような、

そんな友だち、彼氏がいることがリア充の定義です。

わたしなりの。

世界に動いてもらうより

自分から動いてしまう。

人生は思いもよらないことが起きる。

その言葉のように、

いまはこのまま退屈に過ごす日々が連なっていくことしか想像できないから、

そうなくなってしまう未来がくることを(もちろん良い方向へ)

信じて、

この働き方生き方過ごし方に自信をつけていきたいです。

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