「途中の自分」を見せられる誰かがいること

今日は12月29日。

今年もあと2日でおわりですね。

今回の年末年始は帰省しても誰とも会う予定がないのだけれど、

年の瀬って「久しぶりにだれかと会う」ってシチュエーションがすごく多い気がします。

前回会ったときと時間が空いていると、

わたしはいつも、その空白の時間がいかに素晴らしかったかを、

だれかに強制させられるわけでもないけど

証明しなくては、と妙に焦ってしまいます。

たぶん見栄をはりたいんですよね。

これだけ、この時間に大きくなったよって

言わなきゃいけないって思ってしまうんです。

今回の帰省で誰とも会う約束をしなかったのは、

わたし自身が、自分のことを見せられる自分だと思っていないから、

というのはすごく大きな理由であったりもして。

わずか1年3ヶ月で仕事をやめたことも、

派遣社員くらいのお給料で働いていることも、

平日休みという条件下にいることも、

伝えざるを得ない友人にしか実は言えていなくて、

どこかで、この状況にいる自分は素晴らしいとはいえないと、

じぶん自身が、そう確実に思っているんですね。

だから、こんな自分を見られたくなくて、

会いにいけない。

つまらないプライドだなぁと思っている自分も確実に存在してはいるのですが。

何かを願ってから、叶えるまで、そのタイムラグがゼロなんてことは、

この世の中ほぼほぼないと思います。

わたしは転職してから、経理をしてみたいと望み、

すでに半年がたちました。

そして、簿記3級をとる、というところまでがわたしの進んだマスの数。

経理の仕事を得るまでにあとどのくらいのマス目があるか分からないけれど、

ただ、いまわたしがゴールにはいなくて、

「途中」であることだけは確かです。

「途中」にいるって、すごく難しいなと思います。

誰かに差し出せる結果はない。

だからわたしはいつも、目指していることを隠したくなって、

「途中」でいることも黙ってしまう。

転職したことも、その後ほんとうにやりたい仕事を手にできたら、

そのときは何も臆することなく伝えられると思うのですが、

今はまだ「途中」だから、なるべく言いたくないと思ってしまうんです。

でも、

そんな、(わたし自身がかっこ悪いと思っている)途中の自分を、

ためらわず見せられる誰かがいたらいいのになぁと思ってみたり。

まだ求めるものが形になっていないときって、

みんなもがいているはず。

かっこよくいれなくてもよくて、

見栄をはらなくてもよくて、

そのまんまの自分を出せて、

がんばってこーいって、ばしーんと背中を押してくれる相手がいたら、

すごくいいなぁと、

途中にいるわたしは、ふと思いました。

結果がすべての世の中で、

不安定な、途中の自分を認めてくれるって、そんな事実があったら、

みんなその中で弱くなることができる。

個人的な意見だけれど、

弱くなれるって

どんなに強い人でもどうしたって必要で、

すごく大切なことなんじゃないかなぁと思います。

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