土台が作られるとき/福岡の高校の、朝講習という文化/

こんにちは。

1月ももう、2週間がたとうとしているわけですが、

年末年始、帰省のときのお話を。

わたしの実家は福岡の北九州というところです。

高校を卒業するまで住んでいました。

よく「修羅の国」なんて言われるけれど、

まあ、住んでいたものからしたら、別にそんなこともなく…

多少気性が荒いところはあるかな〜くらいです。

帰省中、実家でとっている新聞をぱらぱらめくっていると、

「朝講習 賛否両論」みたいな記事がありました。

朝講習・・・

すごく懐かしい響きで、言葉を聞いただけで一気に思い出が蘇ってきました。

そうそう、

みなさん、朝講習って、どんなものか知っていますか??

関東の方には馴染みがない言葉だと思います。

福岡(九州も、かな?)の高校ではメジャーなのですが、

朝7時半から、1限の前に授業をするっていう取り組みです。

1限の前なので、0限と言われることもあります。

いちおう、建前上は任意参加なのですが、

まあ、原則、参加です・笑

わたしも高校時代、当たり前のように朝講習があって、

そんなに高校まで遠くないのに5時半くらいには起きないといけなかったり…。

当時は眠くて眠くて、とにかくしんどかったことしか覚えていないくらいです。

こんな習慣なくなったらいいのに…といつも思っていました。

でも、高校をでて、大学をでて、社会人になって、24歳になったいま、

朝講習の賛否を問うっていう記事を新聞で見つけたとき、

この習慣がなくならないでほしいなってすごく思ったんですよね。

あれほど嫌だったのに。

記事を読むと、先生の負担が大きいという意見がありました。

それはもう、たしかです。

授業なんて受けるよりやる方が遥かに大変ですもんね。

(当時はそんなこと全く思わなかったけど)

でも、子どもたちがしんどそう、そういう理由では、

なくすべきじゃないとわたしは思います。

最近では就職のときに、大学だけじゃなく高校を気にする企業もあるみたいです。

それはなんでだろう、と考えると、

高校時代に土台が作られるからじゃないかなって思うんですね。

大学名はすでにもう受験の結果でしかなかったりするけれど、

「高校」はその人の行動にまで浸透しているような気がします。

まず高校の方が人数が少ないし、自由も少ないし、

与えられた環境とか、ルールから基本は逃げられないですから。

そういう意味で、高校時代、どう過ごしたか、というより

どう「過ごさせられたか」って、けっこう人に大きく影響してると思うんですよね。

わたしも、つらいつらいと思いながら、

3年間朝講習のある日々を送ってきました。

そのときは全然実感がなかったけれど、

やっぱりあの3年間は、確実に自分の土台になっています。

多少の苦しさなら耐えられる。

そう自分を信じてあげられるようになったのも、

朝講習があったからです。

個人的な意見ですが,

人間、

有無を言わずがんばらなきゃいけないときと、

そこまでがんばらなくてもいいときと、

そこまでがんばらなくてもいいけど頑張れる余力があるときがあると思います。

いつもいつも頑張っていたらつぶれてしまうけれど、

でもいつもいつも頑張っていなかったら、

有無を言わず頑張らなきゃいけないときに頑張れないと思うんです。

ほんとうに頑張んなきゃいけないときに頑張れるように、

一回でも、

そこまでがんばんなくてもいいときに頑張ってみなきゃいけないんです。

あのときやれた。

その感覚があれば、踏ん張れることは多いと思うから。

わたしはいま、「ほんとうに頑張らなきゃいけないとき」にきている気がします。

なんとなく…だけれど。

アインシュタインだか、誰だかが、

教育とは学校で習ったことをすべて忘れたときに残っているもの

みたいなことを言っていたと思うのですが、

それって姿勢とか、感覚とか、そういうものかな〜って

学生でなくなって2年目にしてふと思ってみたりしています。

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